感謝

弦屋 光溪


歌舞伎座でのシリーズを22年間続ける事が出来ましたのは、永山武臣氏

の御後援があったからです。又、松竹株式会社の方々、歌舞伎座の 方

々、日本俳優協会と歌舞伎俳優の方々の御陰です。厚く御礼申し上げま

す。

 又、版画を購入されたすべての方々に感謝を申し上げます。そして、初

期よ り私の存在を紹介くださいました村瀬雅夫氏、又、野原明氏、ローレ

ンス・ス ミス氏、ロバート・サワーズ氏に御礼を申し上げます。

 ふり返りますと、永山武臣氏には何度も再出発のチャンスを戴きまし

た。そ して、その度に立ち直り前進してまいりました。初期には売れ残っ

た版画を購入してくださいました。又、氏は1995年に文化功労者として顕

彰されました。
 

その年金の一部がこの画集の費用の一部となっております。かくの如く、

氏からは長い年月にわたり御支援を頂戴いたしました。私に才能がある

とすれば、 その才能を引き出してくださったのは永山武臣氏であります。

衷心より感謝を 申し上げます。

 平木浮世絵美術館には、初期よりお世話になっております。今回の個

展開催とこの画集出版をすぐに快諾してくださいました。この不況の時代

にご高配を賜わり心から有難く感謝を申し上げます。そして編集に御苦

労されました佐藤光信館長と森山悦乃学芸員、松村真佐子学芸員、スタ

ッフの方々に御礼を申し上げます。

 又、英訳を担当してくださった友人のポール・モリス・グリフィス氏に感謝

いたします。

 私はすばらしい方々との出会いによって現在があります。すべてに感謝

であります。

 有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


歌舞伎座内に掲示された実物の版画を
貼ったポスター(1978年9月)



第2期予告チラシ(1980年)

第3期予告チラシ(1982年)

 私の仕事につきまして申し上げます。

 例えとして、澤村宗十郎氏を描いた作品(4点描いている)を並べてふり返ります。初めて描いた作品は1982年7

月制作の助六の揚巻でした。氏は49才、女形として美しく、元気で充実していた時代であったと思います。制作者

の私は 36才でした。2作目は1年後の1983年7月制作の小栗判官の橋蔵で、魅力的な氏独特の道化姿を絵に表

現したいと 苦心した作品でした。この小栗判官は古狂言を再創造したものの初演でした。徹夜の舞台稽古を見な

ければ描けな い為、冷房の効く夜中の歌舞伎座で拝見中つい桟敷で寝てしまい、風邪をひいて版画を摺り終え

た 時には肺炎にな っていた苦い思い出があります。

 3作目は、なんと11年後の1994年9月制作の双面のおしづでした。氏は61才、宗十郎の会など精力的に活躍さ

れて おられます。

この作品に表現された顔は単純化し、ほぼ完成した似顔と思っております。私は48才です。4作目はそれから5年

後 の1999年3月制作の篝火でした。氏は66才になられました。体調不調の時があったと聞いておりました。痩せ

ら れた 氏の容姿は、子を想い涙する篝火の姿と重なりました。自信を持って発表した作品であります。私は52才

とな りまし た。年月が過ぎて行くのを意識いたします。

 制作者として、この様に、一人の歌舞伎俳優の舞台姿を、長い年月それぞれの時代を描ける事はこの上もない

喜 びであり、感謝であります。そして、一般の観客の立場で、客席から凝視する事に徹し、全力を尽くして木版画

を制作 いたしました。何の束縛もなく、まったく自由に制作いたしました。なんと幸せな事でしょうか。貴重な人生を

過ごさせて 戴きました。感謝を申し上げます。

 1988年9月、歌舞伎座百年を記念して、個展開催と画集を出版して載きました。当時の紹介記事をここに再録さ

せて戴き、感謝申し上げます。


 

 「ライブな役者絵」
  今の時代に生きながら、歌舞伎「役者絵」の制作に没頭する弦屋光溪。浮世絵の伝統的な様式美によりかか

って絵を死なせてしまうことなく、たった今、目の前で演じた、その人自身を描くというリアリズムを貫く。

 (前略) − 弦屋光溪の役者絵を見ても、やはりそうだ。作品を一枚一枚とめくって見ていくと、緊張感が伝染

するのか、ところどころで思わずこちらの体に「むんっ」と妙に力が人ってしまったり、逆に「ふっ」と力が抜けたりす

る。また、絵の中の顔の、例えば目じり、あるいは結んだ唇、また指の付け根か先っぽ、そうした局所に力が漲っ

ていたりするのがわかる。

 よく江戸役者絵の解説文を読んでいると、「緊張感溢れる一瞬を見事に再現〜」などと書かれているのに、実の

作品を見ると様式美でこぎれいにまとまっていて、どこに迫真の感じがでているのかと思わされることがある。弦

屋光溪の場合は確かに実際の舞台の臨場感を掴んでいる。例えば、写楽の有名な「大谷鬼次」に描かれた、広

げた掌がそうであるように。

 それから弦屋の描く役者絵のもう一つの特徴は、人間味があるということだ。それがどこに表われているかとい

えば、彼の描く役者がいわゆる美男子ではないところにある。えらが張っていたり、目がぎょろりとしていたり、ワ

シ鼻だったりする「ごつい」顔である。それと顔面の「皺」である。皺がこれほどはっきりと描きこまれている役者絵

は見たことがない。おしろいがつくる顔の、表面のつるりとした美肌ではなくて、その内にある、生身の「その人」の

姿にスポットをあてようという意図が感じ取れる。

 この点について作家に尋ねたら「男の顔の女形」を描きたいのだと言われた。綺麗な女の顔になりきった女形で

はなく、あくまで男であることを残した女形の魅力。しかも年をとって、人生経験を積んだ男の顔。だから手なども

すらっとしたのでなく、「むちっ」として分厚い、年齢を重ねた手を描くのだという。

 そういえば、手はこれまでに制作した役者絵の九割に出てくる。歌舞伎では手が舞台の一場面を伝え、そのポ

ーズの一つ一つすべてに意味がある。また弦屋氏によれば、「手には品位が表れる」。

 ところで、肝心の弦屋光溪とは何者なのかという謎だが、本名を三井弦といい、独学で木版画を学び、78年にサ

ラリーマンから木版画家に転身。歌舞伎俳優の舞台姿をテーマとした、いわゆる「役者絵」の制作を手がけるよう

になる。自画自刻自摺の創作版画スタイルであるが、現代の木版浮世絵の「絵師」となることを志す。作品は、歌

舞伎座の公認を得て、東京の歌舞伎座の中だけで販売されている。

 「歌舞伎座で売ることが本物の役者絵師になるためには必要だと思った」と役は言うが、実際どのように売っているのか詳しく間いてみると面白い。

 歌舞伎の出し物というのは月毎で変わるのだが、1日か2日が初日で千秋楽まで25日間というふうに決まってい

る。ついては、弦屋氏は初日から(あるいはその前の舞台稽古から)何日か歌舞伎座に通いづめでまず取材、そ

の後すぐさま制作にとりかかる。おおよそ中日の15日ぐらいまでに部数の全部を仕上げて納品。千秋楽までの10

日間だけ、新作を販売する。

 つまり芝居を観にきたお客さんは、たった今見たばかりの舞台の役者絵を、リアルタイムで買って帰ることがで

きるわけだ。

写真でなくて一枚一枚手摺りの木版ブロマイドなのだから、これはすごいことだ(ただし、さすがに最近は寄る年波

に逆らえず、制作期間は長引き、公演の翌月に販売が持ち越されることになっているという)。と同時に、版画とい

うメディアが大衆と身近な関係を築いている点が感動的である。

 脱線したが、最後にこれだけ書いておきたい。弦屋光溪という作家は、「現代の写楽になろうと思った」と自ら言

うように、最初は明かに写楽の亜流であった。そしてその後の経過を辿っていくと、いかにそこから抜け出すかと

いう暗中模索の日々が

今日まで延々と続いていっている。

 けれども弦屋氏の作品を80年代より収集している大英博物館の日本美術担当、ローレンス・スミス氏はかつて、

90年の作「源氏店のお富」を指して、「これはこれまでに見たどの浮世絵とも似ていない、初めて見る浮世絵だ」と

評したそうである。

確かにこの作品は他のどの浮世絵師をも連想させないし、このような作品を何点も作り出していくとしたら、弦屋

光溪は現代の「写楽」ではなく、ただひとえに「平成の浮世絵師・弦屋光溪」としてその特異な存在を際立たせてい

くことができるに違いない。                        (『版画芸術』No. 107より 編集部・安田洋平)